御由緒

鎮座地   明石市魚住町中尾字社山

旧社格   縣社

旧境内地  壱萬壱千弐拾九坪参合四勺

 

 

神功皇后の遠征の時、皇后に助言を与えられた

底筒男命・中筒男命・表筒男命(住吉大神)の和魂を

神命によって祀られた社であります。

後に神功皇后を加えて四座としました。

海路の神として古来より崇敬を受けてきた神社であります。

 

 

 


御神徳

 

住吉大神は神事にて最も重要な「祓い」を司ります。

 

 

 

海上安全 交通安全 開運 厄除け 安産育児 和歌上達 学業成就 

 

商売繁盛 家内安全 縁結び 延命長寿

 

 


御本殿

御祭神 

 

第一本殿 底筒男命

第二本殿 中筒男命

第三本殿 表筒男命

第四本殿 息長足姫命(神功皇后)

 

 雄略8年(西暦464年)4月初卯日に創建。

 

正応5年(西暦1292年)本殿を旧社地(住吉公園内東南)より現社地に遷してます。 

 

寛永7年(西暦1630年)初代明石藩主小笠原忠政は当社の拝殿を再興しています。

 


境内末社

八幡社 御祭神 応神天皇

高良社 御祭神 武内宿禰

大海社 御祭神 大綿津見命 小綿津見命

厳島社 御祭神 市杵島姫命

稲荷社 御祭神 稲倉魂命

神明社 御祭神 天照大神 豊受大神

粟島社 御祭神 大己貴命 少彦名命

天満社 御祭神 菅原道真 

竈神社 御祭神 奥津彦命 奥津姫命


楼門

 

・明石市指定文化財 

 

慶安元年(1648年)

 和坂村の山崎清左衛門建立

 

 楼門全体の姿態も整い、豪壮で、

細部にわたり建築技法が優れています。

 

昭和53年に明石市の文化財に指定されました。

 


能舞台

初代明石藩主 小笠原忠政(後の忠真) 

寛永4年(1627年)建立  

・国の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」(平成18年水産庁選定)

 

・明石市指定文化財

 

・2018年11月、大阪万博開催が決定されたパリの総会において、最終プレゼンテーション動画に使用されました。


連理の枝 とうかえで

 「縁結びの樹」

 

一つの根元から二つに分かれた幹は、高さ約2m付近で一本の枝によってつながります。

 

「連理」と呼ばれる現象で、古くから仲むつまじい夫婦に例えられました。 
   

 縁結び・夫婦円満の ご利益があります。


手水舎のうさぎ

 

雄略8年(西暦464年)4月初卯日に創建。

 

毎年5月5日には、神社御創建記念の祝祭、

「卯の花神事」を執り行います。 

 

 


万葉歌碑

 神亀三年、聖武天皇行幸の折、笠朝臣金村がこの地で詠んだ歌。

 

往きめぐり 見とも飽かめや 

名寸隅の 船瀬の浜に しきる白波

 

訳:往き帰りにいくら見ても見飽きることがない

魚住の船着き場の浜にしきりに打ち寄せる白波は

 

 

後世、「百人一首」撰者の藤原定家の名吟。

  

こぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに 

焼くや藻塩の 身もこがれつつ


上村孫作歌碑

 

 

 

藤の下潮の香さして降りゆけば

 

家島つばらに赤穂の崎も     

 

 

アララギ派歌人  上村孫作


石橋雲来詩碑

高吟飽看水 高臥飽看山

々々還看水 日々不能間

 

          雲来仙史

 

(高吟に飽きて水を看、高臥に飽きて山を看る、

山を看て還って水を看る、日々間するを能はず)

 

石橋雲来 漢詩家 姫路の人

大正3年江井ヶ島にて逝去


住吉神社の窯跡

海岸に面した魚住一帯では、須恵器のこね鉢・甕・碗・瓦などを盛んに生産していました。

 

中尾川流域に36基、赤根川流域に16基の窯跡が確認されています。

 

魚住で焼いた瓦は、平安宮や尊勝寺などの寺院へ運ばれていました。

 


住吉神社の松林

 

明石の大門を行き交う船々。

松林から播磨灘に臨む景勝の地です。

 

謡曲「高砂」では、住吉・高砂の相生の松のめでたきえにしにたとえて、住吉明神の御神徳を讃えております。


播磨灘の夕景

 

 

 住吉公園からの夕暮れ時の景色。

 

播磨灘に沈む夕陽。

 

日毎に違う表情を見せる海と空の色彩。

 

 

 


祓除の藤

 

御神木「祓除(はらい)の藤」

 

海からの穏やかな風に揺れる藤の房。その下をくぐり抜けると、祓い清められたような清々しさです。

藤は当社の御神木であります。

 

花便り(藤)


あじさい神苑

 

 

境内地の西側斜面、松林の中に

 

約2500株の紫陽花が咲きます。

 

花便り(紫陽花)